グリーンペイント寺沢です。
またまた仕事と違う話でありますが山梨県へ行ってきました!
※関東は観光で行っている訳ではありませんよ、仕事なんですよ!・・・念のため^^;
実は、去年も行ったのですが毎年でも行きたい武田の里、山梨県。
横浜からだと高速使って3時間くらいかかるでしょうか
札幌から山梨に行くなどといったらそりゃ~~えらい時間かかりますからね(;^ω^)
早朝からウキウキしながらドライブ、楽しいことは時間があっという間です!
中央道を走り山を越え「トンネルを抜けるとそこは山梨であった。。。」
歴史好きであるなら甲府に到着しだい戦国大名、武田氏の拠点、躑躅ヶ崎館こと
現在の武田神社へ挨拶に伺いたいところでありますね。

神社正面入り口の前に立ち、まずは一礼。。。心の中でです
歴史マニアが多いとしても、本当に一礼してしまうと浮いちゃいますね💦
さあ~境内に入場する前、いつもの空想タイムが始まります^^;
今から450年前にここを山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、高坂弾正・・・
あえて高坂昌信は弾正と呼びたい、弾正とは当時の警察的機構に関係する意味、称号で
松永弾正や織田弾正忠など戦国ならではなカッコイイ呼び名で特に大好きですね!
武田四天王がここを通ったのか~~
山県昌景の赤備え、武田菱の軍旗がたなびき戦国最強の武田騎馬軍団が~
出陣の時なんて甲冑姿で~こんな感じで~これぐらいの歩幅かな~
当時を想いながら入口の橋を行ったり来たり
変な人に見えたかもしれませんが、史跡巡り中は有りということで(^o^)丿
とても幸せな時間です。
※現在の武田神社入口は戦国時代の正門入口とは違うそうで当時は
現在入口の右手にあったそうです。

しかしながら躑躅ヶ崎館は平城?といってよいのか水堀、空堀はあるのですが
一般的にイメージするような城郭がありません、戦国時代も館しかなかったそうで
武田家の方針だったのか、武田信玄公の有名な名言「人は城、人は石垣、人は堀」
この言葉にすべて表れているのでしょうか?
しかし戦国最強とうたわれた武田家の強さの秘訣である金山も埋蔵量に陰りが見え
織田、徳川連合軍と長篠の合戦後は急速に力が衰えて、ここ躑躅ヶ崎館は
城郭がない事が本土防衛には不向きとされ急遽、新府城を築城することになりました
信玄公時代は豊富な金にものを言わせイケイケドンドンのノリで快進撃をしていましたが
跡継ぎ勝頼公の時代にはそのようなわけにもいかず厳しい戦いを強いられます
戦国史の中で「おおうつけ」「信玄の愚息」「武田の恥」等々散々な言われ方をしている
勝頼公ですが、あまりにも不憫です。
金山からの採掘量も減り資金面もかつてのようにはいかず
「信玄公の言うことしか聞かん」という態度のほとんど豪族?のような家臣団
もの凄い力を付けたライバル信長、家康公に囲まれ
この状況下では誰であっても滅亡したのではないか?
と思える不利な状況でも勝頼公は一生懸命に戦ったのではないかと思います。
諏訪勝頼「甲府のものではない諏訪の侵略者め!」と罵られながらも・・・
生まれた時と場所が不運だったとしか言いようがありません。

本殿や記念館?はさらっと見た程度でしたが敷地内散歩は面白く
特に西曲輪のあたりは空堀がめぐらされ
往時を思わせる遺構が随所に観られました。


さらに神社内を散策していると敷地内の清掃業務をしているおじさんと仲良くなり
即席の観光案内をしてもらえることになり色々なお話を聞くことが出来ました。
武田信玄公は躑躅ヶ崎館の敷地内に日本各地から取り寄せた植物を植えて
巨大な庭園風にしていたそうで山梨県には自生していない木も多いらしく
信玄公とガーデニング?の組み合わせはちょっと意外でした。

またまた仕事と違う話でありますが山梨県へ行ってきました!
※関東は観光で行っている訳ではありませんよ、仕事なんですよ!・・・念のため^^;
実は、去年も行ったのですが毎年でも行きたい武田の里、山梨県。
横浜からだと高速使って3時間くらいかかるでしょうか
札幌から山梨に行くなどといったらそりゃ~~えらい時間かかりますからね(;^ω^)
早朝からウキウキしながらドライブ、楽しいことは時間があっという間です!
中央道を走り山を越え「トンネルを抜けるとそこは山梨であった。。。」
歴史好きであるなら甲府に到着しだい戦国大名、武田氏の拠点、躑躅ヶ崎館こと
現在の武田神社へ挨拶に伺いたいところでありますね。

神社正面入り口の前に立ち、まずは一礼。。。心の中でです
歴史マニアが多いとしても、本当に一礼してしまうと浮いちゃいますね💦
さあ~境内に入場する前、いつもの空想タイムが始まります^^;
今から450年前にここを山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、高坂弾正・・・
あえて高坂昌信は弾正と呼びたい、弾正とは当時の警察的機構に関係する意味、称号で
松永弾正や織田弾正忠など戦国ならではなカッコイイ呼び名で特に大好きですね!
武田四天王がここを通ったのか~~
山県昌景の赤備え、武田菱の軍旗がたなびき戦国最強の武田騎馬軍団が~
出陣の時なんて甲冑姿で~こんな感じで~これぐらいの歩幅かな~
当時を想いながら入口の橋を行ったり来たり
変な人に見えたかもしれませんが、史跡巡り中は有りということで(^o^)丿
とても幸せな時間です。
※現在の武田神社入口は戦国時代の正門入口とは違うそうで当時は
現在入口の右手にあったそうです。

しかしながら躑躅ヶ崎館は平城?といってよいのか水堀、空堀はあるのですが
一般的にイメージするような城郭がありません、戦国時代も館しかなかったそうで
武田家の方針だったのか、武田信玄公の有名な名言「人は城、人は石垣、人は堀」
この言葉にすべて表れているのでしょうか?
しかし戦国最強とうたわれた武田家の強さの秘訣である金山も埋蔵量に陰りが見え
織田、徳川連合軍と長篠の合戦後は急速に力が衰えて、ここ躑躅ヶ崎館は
城郭がない事が本土防衛には不向きとされ急遽、新府城を築城することになりました
信玄公時代は豊富な金にものを言わせイケイケドンドンのノリで快進撃をしていましたが
跡継ぎ勝頼公の時代にはそのようなわけにもいかず厳しい戦いを強いられます
戦国史の中で「おおうつけ」「信玄の愚息」「武田の恥」等々散々な言われ方をしている
勝頼公ですが、あまりにも不憫です。
金山からの採掘量も減り資金面もかつてのようにはいかず
「信玄公の言うことしか聞かん」という態度のほとんど豪族?のような家臣団
もの凄い力を付けたライバル信長、家康公に囲まれ
この状況下では誰であっても滅亡したのではないか?
と思える不利な状況でも勝頼公は一生懸命に戦ったのではないかと思います。
諏訪勝頼「甲府のものではない諏訪の侵略者め!」と罵られながらも・・・
生まれた時と場所が不運だったとしか言いようがありません。

本殿や記念館?はさらっと見た程度でしたが敷地内散歩は面白く
特に西曲輪のあたりは空堀がめぐらされ
往時を思わせる遺構が随所に観られました。


さらに神社内を散策していると敷地内の清掃業務をしているおじさんと仲良くなり
即席の観光案内をしてもらえることになり色々なお話を聞くことが出来ました。
武田信玄公は躑躅ヶ崎館の敷地内に日本各地から取り寄せた植物を植えて
巨大な庭園風にしていたそうで山梨県には自生していない木も多いらしく
信玄公とガーデニング?の組み合わせはちょっと意外でした。










